テキト〜な就職留年生未だNNT、感情のスイッチの話

ハロー

 

21卒から22卒へ、就職留年生の光るです。

 

今日は2021年5月14日。感情スイッチの話。

 

私は現在持ち駒2、内定0のクソ弱就活生です。もちろん就活というのは苦痛でしかない。

面接では焦って焦ってペラペラと話しすぎて自己嫌悪。

2年もやっているのに未だに結論ファーストの話し方ができません。

笑ってください。ハハハ

 

話せば話すほど面接官の顔がシラけていくのがわかる、そしてさらに焦って話しすぎる。

こんな無駄な時間を取らせて申し訳ないって気持ちしかありません。

 

面接でテンパる→面接後自己嫌悪→一旦忘れる→忘れた頃にお祈りメール

ほな、サイナラ

 

そんなこんなで就活というのは苦痛でしかない。

面接前からお祈りメールまで何度も殴ってくるのだ。

 

これもそこそこ苦しいのだが、もっと大きな問題がある。

それは私の苦痛に関するスイッチがオフなことだ。

 

面接では「ああ、失敗したな」と感じ、お祈りメールには「ああ、落ちたな」と思う。

しかし、ただ事実として感じるだけで、そこに感情が伴わないのだ。

第一志望の会社も同じで落ちてしまえば、「ああ、そうか落ちたのか」と思うだけだ。

 

これは就活に限った話ではない。

小学1年生で散々無視されていた時、母親の理不尽な責めを浴びせられている時、等々。

これまで自分は自分にとって苦痛なことがある時、すぐに感情のスイッチを切って来た。

そうすることでその間は本当に何も感じなくなる。悲しい、悔しいは勿論、考えることもしなくなる。

つまり脳の思考を止めるのだ。脳が一切機能しなくなり、自分のことを他人事にしか捉えられなくなる。

相槌も打てなくなるし、罵倒も耳から抜けていく。

 

多分この感情スイッチオフ問題は小中高といじめなりヒステリックな母親なり家庭内暴力の兄なりの目の前で起こる苦痛から逃れるために編み出した処世術なのだろう。

 

だがしかし、それでもいいじゃんと思いきや全く良くない。

感情スイッチがオフになると、全ての事柄がいつの間にか本当に全て終わっているのだ。

みるも無残な結果だけを残して。自分にはほとんど記憶がない。

感情スイッチをオフにして、感じること、考えることをやめてしまうと物事はいつのまにか全て終わった状態になっている。

時が失われた感覚だ。

被虐待児に多く見られるトランス状態というものがある。自分がそれだというにはあまりにも申し訳ないので言いたくないが、なんとなく状態の想像はできる。

 

自分の場合はこのスイッチが勝手にオフになってしまうので、大変困る。

オフになった場合、自分で気がつければいいのだが、気がつかない場合数日そのままで過ごしてしまう。いつのまにか数日分が失われている。

自分で気がついた場合はスマホを風呂場に持ち込んでドラマをみる。普段は風呂が嫌いなのでささっとしか入らないが、ここぞとばかりに長風呂をする。すると頭が冴えてくる。

その後、人生でやりたいことを書き出す。

ホイスコーレで勉強したいとか、腹筋割りたいとかそんなことだ。

 

そうしたら大体感情のスイッチがまたオンに戻っている。

自己分析も進むし、面接の準備も嫌々ながらできる。

これでおしまい。

 

しかし、長風呂でも感情スイッチがオフの時はもうどうしようもない。

やりたいことを書き出そうにも何も浮かばないし、瞬きですらめんどくさい。

こんな時は諦めて寝る。そして時間を失うのだ。

 

そんなこんなで昨日感情スイッチをオンにし直しまして、今日に至ります。

感情スイッチをオフにすることは自分を守るために有用だけど頻繁にやると時が失われてしまうからね、みんな気をつけましょうね〜

 

ほなbye

光る

 

 

テキト〜な就職留年生未だNNT、自己紹介

ハロー

 

21卒から22卒へ、現在就職留年生の光ると言います。

今日は2021年5月11日、twitterでは企業に内定をもらった人ばかりが溢れていますが、永遠に内定がありません。

笑ってもらって構いませんが、なんなら21卒の就職活動から現在に至るまで2次面接に通ったことがありません。笑っちゃうねハハハ。

 

今年23歳になる一応女子大生です。関西の大学に籍があります。

ただ2020年度、就活開始→リモート開始→就活失敗→休学(イマココ)

なので母校に1年ほど足を踏み入れていません、あの学校に通っていたのは幻的なにかだと思っています。

 

大学在学中はありがちに個別指導塾のバイトに熱中、ありがちに途上国で学校を作っていました。バイトでは全国表彰されたり、サークルで慕われたりと、今の廃人のような私と比べると別人のような光るちゃんでした。

 

でも上っ面だけ取り繕った薄っぺらい人間でした。

 

親から愛情を受けて育った実感が持てず自己肯定感がガタガタ、彼氏がいるのに浮気を繰り返していました。彼氏に対して大した努力もできず、そのわりに「なぜ私の彼氏は私に尽くしてくれないの?!友達の彼氏はいつも友達を大事にしているのに!」と愚痴を周囲に吐き散らしておりました。彼氏は年上で超ブラック研究室に所属しており、妙な対抗心で全く本人にはそんなことを言えませんでした。その不満を他の男に構ってもらうことで紛らわせていました。

ほんと〜にウンコですね、あの時の光るちゃん。今思い出してもなんてひどいことをしていたのか、なんて子供だったんだろうかと虚しい気持ちになります。

ちなみにこの時の彼とは結局2年半付き合い、最後は些細なことがきっかけで振られました。

とても些細なきっかけでしたが、2年半も私のモラハラに我慢していた結果だと思います。

 

つまらない話をしてしまいました。

 

そんなこんなで自己肯定感が低いことを隠すために他者を見下し、お前らとは違う、というウンコみたいな根性だけで生きてきました。

 

就活では当たり前に大手だけを受けました。サークルの先輩たちが大手にスルスル内定をもらっていたからです。私も当然できると思っていました。

6月になっても内定のない私でしたが、自粛前に一緒に就活をしていた友人(しかも志望業界一緒、半分くらい同じ企業を受けていた)と数ヶ月ぶりに連絡を取ると当たり前に彼女は内定を持っていました。しかも2つ。

平静を装って「すごいね」と言った私の声は引きつっていたことでしょう。

「光るは?」と聞かれ「苦戦してるんだよね〜」と答えました。

プライドの高さが異常だったので、「大手ばかりを狙って全落ち」とは言えませんでした。

でも彼女は優しいので「そっか〜しんどいよね」と言ってくれ、深堀はしてきませんでした。

一緒にやっていた頃、私は散々彼女を見下す発言をし、「そんな下位のところ受けんの?」と鼻で彼女を笑っていたのにです。

ぐるぐるとどこかに吸い込まれていくような、そんなちっぽけさを感じました。

 

書く気になったらもうちょっと詳しくこの辺も書こうかな〜と思います。

 

そんなこんなで無理になって休学、実家に帰り、とある ど田舎のNPOで住み込みで働くことにしました。学生時代はボランティアをしていたので圧倒的にそういうハードルが低かったのです。

 

友人たちや彼氏には事後報告でした。就活がどうなったのかも言わずにいつのまにか休学を決めたと言われたので特に彼氏は驚いたことでしょう。

休学してNPOでボランティアっていうとすごそうですが、シンプルに就活から逃げたかったからです。

内定を持つ友人たちが遊んでるのを見るのも辛かったのでインスタもtwitterもやめました。

 

ちょっとダラダラ書きすぎですね、こんなことだから2次面接も通らないんでしょうねハハハ。

 

そんなこんなで休学をし、自然いっぱいのど田舎で働くうちに、自分の過去を悔悛し、今に至ります。就活も3月から再開しましたが、去年の夏に思っていた「良い会社に入って同期を見返してやる」という野心はほとんど消えました。なので表題の通りテキト〜な就職留年生として生きています。

毎日ぼーっとして過ごし、どこむすさんのゲーム実況を流しながら何も生産せず1日が終わります。

エントリーは10社くらい、持ち駒は2です。ワロタ。

もちのロンでNNT。

去年のような切迫した焦りはありません。どうせ将来は北欧に留学して勉強したいことがあるので3年間くらいNPOとかで働けたら良いか〜くらいに思っています。例によって誰にも言ってませんが。

 

私は日本が病んでいると思います。教育も変だし、お母さんに優しくない世界、自己肯定感の低い人々、就活も社会制度も変。目をキラキラさせて面接をして、御社に愛を伝えてせっかく入っても「土日だけが楽しみ」になってしまう社会人たち。変じゃない?

ちなみに私の2年半付き合っていた彼氏はこんなことに疑問を抱かず社会の歯車として生きていく普通の人間でした。またも関係ない話だねハハハ。

 

そんなこと言ってるから今NNTなんですよ〜最終面接処女ですからね。

 (5分前に持ち駒のお祈りメール来ました。人事の人たち褒めてくれたのにね。)

テキト〜に生きるかぁ。

 

bye

光る